先日、30数年ぶりに「日光東照宮」へ行ってきました。
東武日光駅から徒歩で30分程、国道沿いのゆるい上りの歩道を上がっていくと東照宮に到着です。
当日は、お日柄も良く、表参道から入口までは観光客であふれています。
あくまで東照宮のみを見学する決め打ちだったので、東照宮オンリーのチケットを購入。チケット売り場のおじいさんが「陽明門は改修工事で見れないのですが・・・」と申し訳なさそうに言ってきました。
「なぬ!東照宮に来てあの陽明門が見れないんじゃ意味ないヂャン!」と思いましたが、「せっかくここまで来て、んじゃぁ帰らせてもらう!」というのも、もっと意味がない。
「だ、大丈夫です!」と笑顔で答えました。
次の機会に、とは言っても改修工事は6年後に終わるらしいので、それが終わるまで生きている保証はない。
とりあえず中に入る。
東照宮に来るのは小学生の修学旅行以来だ。当然、小学生だった若き頃のオッサンはここへ来ても何の興味もないし、面白いと思わなかったのだろう。全く覚えていない。
ただ、なんとなく前回来た時よりも狭く感じる。体だけは大人になったからかな・・・
有名どころの「三猿」や「眠り猫」は見逃しそうになるくらい目立たない。
陽明門は工事の養生がされていたが、「逆さ柱」は見えた。確かにかなり傷んでいたので、改修致し方なしというところでした。
東照宮の一番奥にある「奥宮」まで行き、徳川家康の墓所を眺める。
「本当にここに家康が眠っているの?」少し疑問に思う。ピラミッドみたいに、実はファラオは別の場所に眠っていたりしないのかな?とミステリーロマンが広がる。
この家康の墓所の脇には「叶杉」という願えば叶うと言われる杉がある。かなり傷んでいるのだが、何となく威厳がある。
「せっかくここまで来たんだから・・・」と願い事をする行列ができている。オッサンもせっかくなので行列に加わる。
東照宮の至る所に、お守りや御札などを売っている売店がある。
奥宮も例外ではなく、しっかり商売していた。オッサンは奥宮”限定”お守りを購入した。
日本人は「限定」という言葉に弱い。
「せっかくだから・・・」と「限定」は最強の組み合わせだ。
ついでにおみくじも引いた。近所の神社のおみくじよりも、この奥宮のおみくじは有り難みが違う。
”末吉”だった。オッサンはおみくじを引くとほとんど”末吉か小吉”だ。東照宮のしかも奥宮まで来ても「末吉」とはね。
東照宮の中でもっとも重要な社である「本殿」はちょうど日光が当たっていて、輝いていました。そして偶然にも、ここで結婚式(祝言?)をやっていました。(結婚式という表現があっているかどうかは分かりませんが)ものすごい厳かでしたね。観光客も眺めていました。
東照宮で結婚式とは、末永く幸せになることでしょう。
最後は薬師堂の「鳴竜」でした。
解説してくれる人が、竜の顔の下で拍子木を打つと音が反響しました。他のところで鳴らしても反響しない。なるほど不思議なものだ。
これで東照宮巡りは終了です。
歳をとってからの神社仏閣巡りは、何かと感慨深いものがあります。
ひとつ気になったのは、至る所で御札、お守り類の商売です。アレだけ多いとなんとなく有り難みが薄くなるなぁ〜
地獄の沙汰も金次第か・・・ちょっと意味が違うかな。